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グッドエンド・バッドエンドという発想はエロゲー脳

「Angel Beats!」の最終回の問題。
なぜあのようなラストに至ったか?
あるいは、中盤以降でなぜ天使ちゃんは、「死んだ世界」の主から降りたのか。

視聴者のほとんどは、作品の序盤においては、天使ちゃんが世界の鍵を握っていると思っていたはずだ。
実際、そういうストーリーにしても不自然ではなかった。
というか、「天使ちゃんは単なる人間だった」という方が不自然だ。

ああいう展開になったのは、麻枝准がエロゲーの手法で考えているからだ。
ヒロインがいるからには、主人公との性的関係があり得るはずだと麻枝准は思い込んでいた。
もちろんアニメでセックスさせるわけにはいかないから、ああやって詰めの部分で振られるエンディングになったのだ。
Bパートはバッドエンドであり、Cパートでそれをフォローするような形になった。

そもそも、主人公とヒロインの性的関係というラインから考えることが間違いなのだ。
「Angel Beats!」は涼宮ハルヒのオマージュだが、ハルヒと比較すればわかりやすいだろう。
キョンとハルヒはセックスするのか?
キョンが自分のチンポをハルヒのマンコに突っ込むことが出来たらグッドエンド(トゥルーエンド)で、出来なければバッドエンドなのか?
違うだろう。
そういう性的な図式は「涼宮ハルヒの憂鬱」には根本的に不在なのだ。
あの世界観に、性器は存在しない。
キョンとハルヒのセックスとかあり得ないし、だからこそ、永遠に結末がないような作品なのだ。

麻枝准はエロゲーライターとして、主人公とヒロインの性的関係を考えずにはいられないのだろう。
ハルヒとキョンの関係のような<セックスレス>がラノベ(アニメ)の基本なのだが、麻枝准はそれを理解していなかった。
音無と天使ちゃんの関係が平行線のままでも物語として成立しうることを麻枝准は理解してなかった。
(というより、平行線のままの方が、天使ちゃん人気で二期でも三期でも引っ張れただろう)。
彼は「涼宮ハルヒの憂鬱」を見て、いったい何を学習したのだろうか?
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