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シリアスな作品の主人公は視聴者の分身だからバッシングされる。日常系は自分と無関係だから好まれる

日常系の作品が全盛である時代。
理由のひとつとして、バッシングされないから、というのがあるだろう。
「けいおん!」を本気で叩いている人はほとんど見掛けない。
つまらないという意見はあるにせよ、そういう人は単に見ないだけだ。

シリアスな作品は、その世界観が憎悪されている。
主人公が世界を救うみたいな構造への憎悪。
われわれの存在の根底に触れるからアレルギー反応を起こしやすい。
そしてそういうアレルギーを回避して辿り着いた結論が日常系なのだ。
<日常系>という言葉とは裏腹に、われわれの日常とはまったく無関係なファンタジー。
完全に架空な絵空事として居直れば、誰かのアレルギーの原因にもならない。

シリアスな作品は、視聴者が自分自身に向き合うことを求める。
シリアスな作品の主人公は視聴者の分身として提示される。
そういう意味で不愉快なわけである。
主人公が何らかの道徳的課題を持って問題に向き合う構造とか、そこに描かれる「自分」というものに視聴者が付き合わされる構造とか、そういうのが嫌悪の対象となるのである。
「エヴァンゲリオン」はそれが信仰の対象となったが、一歩間違えば憎悪の対象となる作品である。

アニメオタクがシリアスな作品の粗探しをするのは、正当な反逆なのかもしれない。
「けいおん!」は視聴者に何も問い掛けてこないから平和なのだ。
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