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フィクションにおける肉体的修行や精神的試練の消失

「ドラゴンボール」で肉体的な修行をやるとする。
われわれはそれに感情移入するわけだ。
われわれが登場人物達に修行させているような、そんな感じで、一体感を持つ。
「エヴァンゲリオン」で主人公は精神的な試練に逢着する。
われわれはその試練の重みを感じながら感情移入する。

修行や試練がなくなっているのは、マーケティングとかリサーチとか、なのだろう。
要は時代におもねった、ということだ。
今の世の中は、親や教師が子供に試練を課すような時代ではない。
今の子供には試練とか合わない、と勝手に断定したのだ。
王道的な感情移入をしやすい手法が、過去の名作に堂々と提示されているのに、それを真似しようとしない。
エヴァを真似している作品でも、主人公に試練を与えない。
あるいは、そういう作品の作者が試練を描けないのかもしれない。
「エヴァンゲリオン」は一歩間違えば、とても不愉快な作品である。
(そもそも普通に見ても、キチガイな大人達が碇シンジを取り囲んで責め立てているだけだ)。
だから、甘口にして逃げる。
だが、エヴァを甘口にしたような作品を誰が見るというのだろう。
時代がゆとりだから作品もゆとりにすればいいというものではない。
模倣、というか、王道を継承するのなら、妥協のない試練を与えなければならない。
主人公を、これ以上ないくらいの苦境に追い込むべきなのである。
そこまでやっている作品があるかどうか。。。
無いから、エヴァを超えられない。
(ゆとり教育も見直されたのだから、アニメや漫画でもゆとりは廃止し、主人公には苛烈な試練を課すべきだ)。
00年代最大の収穫と言えば、あずまんが大王の系譜に属するもの(代表的には「けいおん!」とか)である。
甘口にし過ぎたところが心地よいという名作。
だが、これらは物語ではないのである。
物語が腑抜けすぎているから、あずまんが大王系統の作品だけが名作として残ったとも言える。
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