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「2012」



2009年のアメリカ映画。
粗筋はwikipediaから引用しておこう。
古代マヤ人が2012年に訪れるとしていた世界の終末。2009年インドの科学者サトナムが地球上の内核が溶解している事を発見し、数年後に地殻変動により世界が滅びる事を知る。世界の破滅を知ったアメリカ大統領のウィルソンは、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、イタリア、日本の首脳を集め、そのことを彼らのみに報告。先進国は、極秘でチョーミン計画を遂行し、世界各地の歴史的な美術品をひそかに偽者とすり替え運び出し始めた。

全く面白くなかったのだが、その理由の根幹は、もはや終末思想は一片たりとも信じられないという自分の感覚だ。1999年のノストラダムスの大予言が消費されすぎて、もはやこの手の物語は1シーンたりとも見たくないという嫌悪感だ。2002年あたりにセカイ系という言葉が流行った。セカイ系という言葉が2002年から流行ったのは、終末思想が信じられていた時代に生み出された作品群に定義が必要だったからだ。世紀末の感覚で生み出された作品を総括する言葉として「セカイ系」という単語が使われ、そしてそれは00年代の日常系作品が増えるとともに消えていった。セカイ系=ノストラダムスと等号で結ぶわけではないが、世紀末の終末感は90年代後半あたりにしか描けなかったものである。「エヴァンゲリオン」を超える作品が生まれないのも、終末から人類を総括するという難儀な作業は、あの時代でしか出来なかったからだ。冒頭の「2012」の話に戻ろう。これは凡作だが、仮に90年代に見ていたら、そこそこ楽しめたと思うのである。世紀末の時代の感覚で楽しめたはずだ。しかし、2012年は古代マヤ人が言うところの世紀末らしいが、われわれの感覚として、世紀末はあくまで1999年である。2011年の自分から見て、来年世紀末が来るなんて夢想することは出来ない。今の世の中は普通に景気が悪く、ゆるゆるとした日常があるだけである。世界は終わらないし、つまらないまま続いていく。大作を生み出すような時代の空気がないのだ。
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