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勝利で解決できないと悲劇になる(ドラゴンボールとまどかマギカの違い)

まどかマギカの悲劇性について考えよう。悲劇の構造とは、勝利による解決が禁じ手になっていることだ。まだ第九話までしか進んでないから断定的には言えないが、ドラゴンボールとかワンピースみたいな解決の仕方はあり得ないだろう。まどかマギカで人が死ぬのは、死ぬから悲しいという単純性だけではない。死は回復不能なのである。死んでしまったからには回収できない。根源的な断絶であり物語的な解決不能性だ。試合で負けて次の試合でリベンジするスポーツ漫画のようにはいかない。死んだら次の試合がない。死というのは決して修復出来ないものであり、それが悲劇性の根幹なのだ。「リベンジ」とか「解決」とか「勝利」への道が閉ざされているところに痛切さがある。
そして、われわれがまどかマギカを本気で見られるのは、作者が虚淵玄だからだ。この人なら、完全に貫いてくれるという信頼感がある。みんな生き返って生ぬるいハッピーエンドとかあり得ないと確信できるから、本物の悲劇として受容することが出来る。
とはいえ、この手の物語は本当に難しいだろう。スポーツ漫画の終盤で展開が予想出来るのとは違う。まどかマギカは「勝利」という単純性で物語を締めないだろうから、放送を見てみないと見当が付かない。今後の物語が素晴らしいものになるためには、悲劇として物語を貫けるかどうかだ。ハッピーエンドが好きなオタクが珍しく悲劇にかじりついているのだ。これも悲劇性が鮮烈で、作品全体を貫いているからだ。単に嫌な話が出てくる作品とは違うのである。「悲劇のヒロイン」を素晴らしく描けているから、この作品は受け入れられている。楽しい話は人気が出て暗い話は人気が出ないという傾向はあるが、それは悲劇の描き方の問題だ。
悲劇のヒロイン(悲劇の主人公)はドラゴンボールの孫悟空とは対極だが、しかし対極であるからこそ、世界を司る存在になり得るのである。孫悟空が選ばれたヒーローであるのと同じで、悲劇のヒロイン(まどかマギカの登場人物)も選ばれた者だ。
プロメテウスの神話は誰でも知っているだろう。プロメテウスは人類に火を教える。怒ったゼウスはプロメテウスを張り付けにして、生きながらにしてハゲタカに食いちぎられる責め苦を受ける。ここにドラゴンボール的な解決はないわけである。しかし、プロメテウスは悲劇としてカッコいい。プロメテウスが受難者として苦しむ悲劇のドラマティックな度合いは最高なのである。
勝利や解決などしなくても悲劇として価値があれば、それはそれとして物語なのだ。われわれがまどかマギカを食い入るように見ているのも、プロメテウス的な存在を嘆美する心性によるものだから、現在の重力を保ったまま最後まで描ききって欲しいものだ。虚淵玄なら、プロメテウスを助けてあげるようなことはしないと信じている。
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