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冒険活劇なのに男性主人公が傍観者の「フラクタル」

このブログは、アニメ批評ブログから2ちゃんねるまとめブログへと大きく方向性を変更している最中だが、多少はレビュー的なものも書いておこう。突如のスタイル変更で微かな命脈が途絶え突然死を迎えるのを避けるため、過去のスタイルで少しずつ延命しながら、知らず知らず完全に新しく切り替わっていく流れにしたい。私は軍人としてブログをやっているから、昔の名前がひとつも効果を発揮しないこの現在の地形や、今までに負いすぎた戦傷の履歴、自軍の戦力・物資の乏しさなどを勘案し、このような微妙なスタイルを選択することになった。すべては苦肉の策で行っていることだから、弥縫策の縫い合わせで美しい絵面が出来上がる見込みはない。まだまだ星の巡りが悪いので、ここはゆるやかにやっていきたい。まっさらな戦場で、世界を塗り替えるようにして持ち弾をすべて乱射するには、あまりにも火力が足りない。

とりあえず「フラクタル」を批判しようと思う。「フラクタル」は第九話まで進んだが、ネットで全然盛り上がってないし、完全な失敗作だと思われる。主人公の立ち位置の決定的な失敗について話そう。立ち位置とは物語で与えられる設定であり、そして性格である。設定+性格が立ち位置を形成する。「フラクタル」の男性主人公は明らかにヘタレの傍観者である。物語に主体的に参画し事態を切り開いていくタイプではない。では、傍観者として機能しているか、というと機能していない。記憶喪失とか、フラクタルの世界に迷い込んだという設定なら、説明を聞く役割が出来るのだが、この主人公はそのあたりも中途半端である。悪い意味で傍観しているだけで第九話まで来たし、全11話なのだから、残り二話も同じ具合だろう。「フラクタル」は「東のエデン」をライバルにして作った作品らしいのだが、それこそ「東のエデン」の主人公みたいだったら、少しは楽しめた。「フラクタル」は、冒険的でない性格の主人公が冒険活劇をやるという、余りにも腑抜けた作品になってしまった。キャラクターの立ち位置がずれているから、どこまでいっても面白くならないし、視聴者は脱落を続ける。たとえば「ラピュタ」の主人公が傍観者だったら、「ラピュタ」はつまらない。そういうことなのだ。

「フラクタル」のヒロインの悲劇性についても述べておこう。ヒロイン達は、このシステムのために犠牲にならなくてはならないようで、まるで「まどかマギカ」みたいである。だが、まどかマギカが徹頭徹尾悲劇として描かれているのに対して、「フラクタル」はゆるいハーレムみたいなのを展開してしまった。残りの二話で急場凌ぎのようにエンディングまで繋げるのだろうけど、たぶん打ち切り漫画の最後でピンチが作られるみたいな感じだろう。冒険活劇として中途半端、悲劇として中途半端、SFとして中途半端、あらゆる角度から見て失敗作だと断定していい。

たとえば「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」という作品は酷評され、「やらおん!」(当時は「今日もやられやく」)から死ぬほど叩かれた。あれだけバッシングされたら100万回は死ねる。しかし「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は日常パートは楽しく見ることが出来る。「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は設定の後出しで話を進めて、その後出しがたいしたことなかったというストーリーの失敗だった。後出し設定の話作りで知られるシナリオライター吉野弘幸の負の側面が出た。「フラクタル」と「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の違いは、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は前半部で興味を惹いたのに対して、「フラクタル」は最初から設定がぼんやりしていたことだ。これは主人公の立ち位置の問題として前述した。だから「フラクタル」は批判もされないんですよ。ぼんやりしたストーリー進行だから、あくびが出るだけ。
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