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震災後、はじめて責任感のある人物(東京消防庁の隊長)を見て号泣した

アニメブログを四年間やって零細のままなので2ちゃんねるまとめブログの大海へと舵を取ろうとしているところだが、しばらくは今まで書いていたような批評系の文章も入れておこう。僅かな読者はいたのだから、非常に微量な需要はあるかもしれないからだ。
震災により国難の時だから、それに関して書こう。古典的な右とか左とか、そういう単純な問題ではない。箍が外れた左翼の最終進化形態であるリベラリストが政権を奪取したのだから、これまで日本の歴史において脈々と構築してきた意味が霧散するということだ。かつての価値観は一つ残らず惨殺され死屍累々だ。血肉化していたはずの世界観、人生観、死生観もすべてが浮遊し、子孫を残さなくてもいいと大勢の人が思いながらリベラルな世界の目抜き通りを歩く。好むと好むまいと関わらず、新しいフリーダムな時間と空間に生成された大地にわれわれは立っている。俺はそれに対して普通に諦めていたのだが、未曾有の大震災という出来事により、いやおうなしに、俺は、いや、あなた方も問題に直面させられているのだ。
東日本大震災が発生してからわかったのは、このリベラルな国では誰も責任感を持ってないということだった。偉い人、威張っている人はいるけれど、責任感を持っている人はいない。偉ぶりたい人間や、威張りたい人間は掃いて捨てるほどいる。本当に立派なリーダーには責任感がなくてはならない。今回の震災は、単なる災害や電力の問題だけではない。物理的に破壊されただけでなく、リーダーシップを取るべき立場の人間の責任感の無さという、この国のリベラルでフリーダムでアノミー的な状況も露呈された。
われわれは差異を敏感に感じる能力がある。犬や猫の顔の区別が付かなくても、人間の顔の美醜なら微細なところまで検知する能力がある。社会のヒエラルキーも、そういう差異への敏感な感覚から作られる。小さい頃から、そういう差異の学習は成されていく。身長が五センチ違えば、強さは相当に違う。実際は似たようなものかもしれないが、それでも明確に違うのは、われわれの本能の仕組みとして差異を鋭敏に感じるからだ。そういう鋭敏な感性から、われわれはヒエラルキーを形成するから、どこにでもボスやリーダーやお山の大将はいるのだ。リベラリストでも、権力の亡者なのだ。
絶望的なのは、国家的な危機が生じた時も、くだらないリーダーしかいないことだ。差異の戯れでたまたま上に浮かび上がった大将の情けなさに、絶望以外のどんな感情が抱けるだろう。国家的なレベルでも誰も責任を取ろうとしないアノミー的状況では、国家の滅亡を願うくらいの方がよい。そういう中で、東京消防庁の勇敢な活動や、姿勢には深い感銘を受けた。そこには、この国の偉い人達が誰も持っていない責任感があった。価値が崩壊した国では責任感など死語なのかもしれないが、古臭い感傷的な感情を呼び起こされて、軽く30分は号泣せざるを得なかった。リベラルでフリーダムな世の中になる前は、ああいう男達がたくさんいたはずなのだ。
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